行く人

目黒の長くて急な坂は雨に濡れた人間のにおいがしていた本来この時間には閉まっているはずの大圓寺の門扉が今日は開かれていた僕の目の前で人の群れに連なるように坂を上っていたおじさんが寺の前を通り過ぎながら何かを思案するような素振りを見せたそこから六歩目の足を踏み出したところで急に立ち止まり振り返る危うくぶつかりそうになったその手には何か握られている見えこそしなかったがそれが五円玉であることが僕にはわかった引き返したおじさんが寺に吸い込まれるのを見届けた瞬間釣られるように僕も身を翻しおじさんの後を追っていた僕が敷居をまたいだ時おじさんは紐を引いているところでそうして深く頭を下げ手を合わせた邪魔をするようでその隣に並ぶ気にはなれなかった僕はアイスクリーム店で行儀よく順番を待つ客のようにおじさんから五十メートルほど距離を置いた石畳の上に突っ立っていた寺の奥に目をやると澤山家斎場と大きな看板が出ており座敷に続くらしい玄関に小さな橙の明かりが灯っていたそれで今日はこんな遅くまで門が開いているのか六地蔵が雨に濡れているのをぼうっと見ていたおじさんはきっかり三分間手を合わせたあと石段を注意深く下りながら黒い傘を勢いよく開いた水滴が僕の頬に飛んだ