横たわる

港にするには入り組みすぎた海岸線を持ち、毒のある海月・鱏の発現で遊水浴にも適さず、

(もう長いことその類の生き物はとんと身を露わさなくなっていたのだが、一度見放された泥濘にとっては瑣末なことだった)

ただなんでもない海に人は訪れず、しだいに近隣の工場廃水と流れ付く異国の痕跡で汚れていくのみだった。

それでも海は海であるようで、その多くに倣うように、療養を目的とした病棟が海岸沿いに何つか建てられた。彼の叔母さんはそこにいた。

「汚い泥濘」と始めに言ったのも彼女だった。叔母さんはかつて女工をしていたが、そこで心の都合をおかしくして、今の暮らしをしているという。

彼女の両手に指は七本しかなく、陸軍の御用達の工場の、彼女の背丈の三倍はあるような巨大な機械に巻き込まれて失ったとよく話した。

それは時に瓶を潰しては溶かす機械であり、セメントを混ぜるタンクであり、巨大な食肉加工機であったが、彼は一度も口を挟まずに訊き、彼女はその度「おまえは無口で、話してもつまらない」と詰り、話を終いにした。「慥かには」が彼女の口癖だった。

慥かにはー私はとうに病を治しているけれど、そんなことはもう関係ないんだろうよ。実際にそうであるようで、一度、他人の関心の枠ーー現実味のあるーーから外れたものは、その後どう変化しようと、枠の中に戻ることは出来なかった。

慥かにはーおまえを少しは信用しているよ。おまえの薄汚い母親や、狡猾な父親に比べりゃ良い方さ。

寒さで曇った窓に上機嫌になった彼女は、気難しい顔を綻ばせて彼に言うこともあったが、

                  ・・・・

慥かにはーそういう意味で言ったわけではない。と、使いふるしの上着に点々と出来た暗褐色の毛玉を、神経質そうに毟りながら言うのも常だった。

「おまえはわからずやだから手を焼くよ」誰がです。「そりゃ、いずれのさ」

それからしばらく間が空くうちに、叔母はついに気が触れて、残された指を嚙んでちぎり、失血で亡くなったと聞いた。一度だけまた叔母の病室を訪ねたが、眼下に広がる大きな泥濘があるばかりだった。