奇妙なお爺さんがこの(穏やかな)町から消えてから季節がひとつ、あるいはふたつ過ぎていた。私には年々季節と季節の変わり目がわからなくなっていくようだ。近所に住んでいる犬は季節の境に決まってくしゃみをするので、その爆音を深夜のベランダで聞く時だけ、私は境を知ることができる。けれどその犬の毛色も、背中を撫でる感触も私は知らない。


よく晴れた風の涼しい日に町内大運動会が催された。毎年恒例、全員参加の行事だと大家のおばさんは言ったが、昨年も一昨年も参加した覚えがない。それでも運動靴の紐を締め、赤い鉢巻を巻いて、この町で最も大きな広場に向かった。

そして落下を見た。

 

気の抜けた開会式が、けれども厳粛に執り行われ、パン食い競争に続いてマシュマロ食い競争の準備が行われている途中で、ひとり、またひとりと人々が空を見上げだした。

私も釣られて眩しい青空に目をやると、何か光るものが浮かんでいる。そしてそれはどんどん近づいてくるのだ。


マシュマロ食い競争のマシュマロを入れている巨大な器は、よくよく見るとお鈴(りん)だった。仏壇に置いてあり、棒で鳴らすあれだ。記憶の中のそれとは比べ物にならないほどの大きさで、バスタブ二つ分ほどの大きさがあった。

 

光るそれはお鈴の真ん中めがけて落下した。

衝撃で巻き上がったマシュマロの粉煙であたりが真っ白になり、同時に、ばかでかく澄み切った音が響き渡った。

コワ〜ン、コワ〜ン、コワ〜ン、と円を描くように音が波打って空気を伝播していく。その瞬間、町中の鳩がいっせいに飛び立ち、それによってなにか特殊な磁場が発生したようで、全ての店の万引き防止ゲートが警報を鳴らした。

お鈴の音は地獄の底まで響くとされている。そしてこの音が鳴っている間だけは、地獄の亡者も責め苦から解放されるらしい。さもありなんと思った。それほど奇麗な音だった。


粉煙が晴れると、落下物は頭をもたげて立ち上がり、風呂から上がるように大きなお鈴から出てきた。そして間髪入れずに嘔吐した。吐瀉物は主に黒い液体で、時折何か金属のようなものが混じっていた。遠目ではあったが、私の見立てではあれはスペース・デブリであったと思う。奇妙なおじいさんは、この町にいた頃もよく道に落ちている物を拾って食べては嘔吐していたので、他所で同じことをしていても全く不思議ではなかった。

 

その夜、日記にこう書いた。

「奇妙なおじいさんが帰ってきた」 

 

ちょうどその時に、黐の木を背に、奇妙なおじいさんが光った。点滅した。光った。点滅した。沈黙。光った。光った。点滅した。光った。それを何度か繰り返しながら、また宙に浮かんだ。